お江戸に漂着

          「こぬばぬわ」

韓国時代劇に萌える→そのまま韓国歴史廃人になるか?と思いきや、江戸に帰って参りました。
杉浦日向子の江戸学の本を読んでいると、色々知らなかったこと・初耳なことが多く今更ながら感動。
・・・こんなことなら、お江戸でござるを見ておけば_| ̄|○
江戸時代の男女比、男性の方が遥かに多く、生涯結婚しない男性は普通に多かったというのは知っておりましたが、
なんとしても嫁さん・恋人をゲットするために、無駄毛の処理にも余念が無かったとか!
男風呂で、ケロケロという謎の音が響き渡っているのは、毛をカットするために石と石を擦っている音だとか。
女子にモテようとするがあまり、中世的な美しい髪型・着物が流行っていたとか。
その浮世絵も載っていたのですが、言われるまで男子を描いた物と分からない程でした。・・・誰かを思い出すな(謎
そういう部分も、日本の時代劇に取り入れれば時代劇ももっと盛り返すだろうに!と思うのは腐人間だからか?w
あと、江戸時代にも不良娘・息子はいたらしく、その細かいツッパリ具合が微笑ましかったです。
女子は、前髪を(現代風に)切っていることが不良の証。 ・・・わしは江戸なら、バリバリの不良だな(・∀・)b




そして中でも一番驚いたのが、福助さんの話。
招き猫と同系の、縁起が良い番頭さん?的な人形。 もしかすると実在の人? くらいの認識だったのですが、
なんとこの福助さん、今で言うところの身体障害者をかたどった物らしいのです!!!?
諸説あるようですが、要約すると


  
体が弱く、肢体不自由な上、頭が大きいためマトモに立つことも出来なかった。
しかし、非常に可愛らしい風貌で愛嬌があったため、皆に好かれていた。その可愛らしさが買われて、見世物小屋へ。
江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。
見物のなかに旗本の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は30両で香具師から福助を買い取り、召し抱えた。
それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中のりさと結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだした。
その人形が、福助の死後、流行した、という。


招き猫と似て非なる人形というのは正しいわけですが、しかしこんな由来があろうとは・・・
ちなみに上の画像は、実家にある福助さん。 この本を読んだときに、「確かうちにもあったよーな?」と先日帰った時に家捜し。
ガラスケースの奥深くに鎮座していたのですが、凄い汚れてしまっているので、軽くスポンジで洗っていたら・・・
頭の水色部分の絵の具が、ガンガン落ち始めたがなΣ( ̄ロ ̄lll)!? なんという安普請!?
肌色の地肌が透けて、このままでは福助ではなく珍念さんになってしまうw
しかし、なんでうちに福助さんが?と聞いたところ、むかし母が会社の研修旅行で福助足袋の会社に行ったときにお土産で
貰ったものらしい。 我が家内アンティーク認定(´∀`*)  
というわけで、ある意味本家本元な福助さんだったのか。 なむー(?)
ちなみに、べらぼうめ!という言葉の由来も、江戸時代に実在した見世物小屋の奇人が由来とか。  
全身真っ黒で頭がとがり、目は赤く、顎は猿のようで非常に醜く、愚鈍な仕草で笑いをとっていた。
奇人は便乱坊(べらんぼう)と呼ばれていたため、馬鹿や阿呆の意味で、べらぼうと使われるようになった。

容赦無いな( ;゜Д゜)・・・
ちなみに、本日NHK教育で江戸の三大ファーストフード!をテーマにした番組があります。
そのうちのひとつは蕎麦か? 杉浦氏が健在だったら、間違いなく出たんだろうなー。